初マラソン完走・感想・感動?

ランニング雑感, レース/大会

快走の長野マラソンから4夜明け、筋肉痛も大分和らいできました。

信濃毎日新聞で順位を確認し、掲載されていた写真の中に、昔懐かしウォーリーを探せのごとく自分の姿を見つけ、そんな日々を過ごしながら、興奮もひと段落して冷静に振り返ってみると、、、やっぱり初マラソンでこれは出来すぎだよなぁ、としみじみ。ここで調子に乗ってしまうと、二度目に大ゴケをかましそうで、ちと怖いです(^^;)。

さて、そんな初フルを走り終えて感じたことを、例によって徒然なるままに。

 

一人じゃ決して走れない

何をおいてもまず感じたのは、やっぱり仲間のありがたさです。

一緒に練習で走ってくれたり、具体的なアドバイスをくれたり、純粋に応援をしてくれたり、レース前にわざわざメールや電話で激励をくれたり。そうした素晴らしい仲間達のおかげでこうして走りきれたんだと、いつものレース以上に痛感しました。

くじけそうなとき、心折れそうなとき、それでも持ちこたえられたのは、そんな彼らに見守っていただいたおかげです(それが例え「ここで下手な走りをしようものなら、後で何を言われるか分かったもんじゃない」というプレッシャーだったとしても♪)。

そしてレース中も、ボランティアの方々や沿道を埋め尽くした方々の決して途切れることの無い声援。見も知らぬ関係だけれども、同じ苦労を共有する隣を走るランナー。その一つ一つにも、どれだけの力をもらったことか。

「走るのは一人だけれど、一人では決してマラソンは走れない」。そのことを身をもって実感させられました。この快走の結果は、自分一人の力では決してたどり着けなかったと、謙遜でもなんでもなくそう思います。

 

ハーフの比じゃない達成感!

ゴールしたときの達成感、爽快感も、ハーフのときとは比べ物になりませんでした。

練習では30kmで脚がパンパンになり、とてもじゃないけれど42.195kmを走りきれる気がしなかったものですが、その未知なる距離を走りきった瞬間には本当に会心のガッツポーズ。今までゴールでガッツポーズを決めたことなど一度も無かったですけど、このときばかりは自然と両腕が突き出ました♪  (余談ですが、AllSportsの写真がUpされたようですが、残念ながらゴールにはカメラマンがいなかった模様。この勇姿はカメラに収まっていませんでした(しくしく))

そして高橋尚子さんの言う「とても本当に楽しい42.195kmでした」。そんな訳無いだろう、あるいは彼女にとっては本当だとしても、一市民ランナーが感じられる感覚じゃぁないだろうと思っていましたけど、実際走ってみてその気持ちが分かったような気がします。決して辛くない訳じゃない。苦しくないわけない。楽しいだけだなんて絶対にそんなはずはない。でも、辛いだけでも決してない。その辛さを乗り切った先にたどり着いた、大歓声のオリンピックスタジアム。この爽快感は本当に癖になりそうです。
まさに、千葉真子さんの言っていた「マラソンはくるたのしいもの」の言葉通りですね。最高の気分でした♪

何か、時間がたって、記憶を美化しすぎているような気がしないでもないですが(^^;)。時間が立つと苦しかった記憶はあっさりと薄まり、いい記憶だけが鮮明に残っています。

 

完走すると人生観が変わる?

一つ贅沢を言うのなら、達成感は確かに凄かったのだけれども、よく言われる「フルマラソンを完走したら人生観が変わる」とまでの境地には残念ながら至れなかったな、と。

その境地に至るには、レース展開があまりにも順調すぎました。

例えば、壁にぶつかって、脚の痙攣でも起こして、ペースも歩いているのと同じようなペースにまで落ち、それでもその苦しさを乗り越えて42.195kmという距離を走り抜く。そんなレース展開だったのなら、ひょっとして人生観も変わったのかもしれません(決して、自ら進んでそんな体験したかったわけではないですけれどね(^^;)))。フルマラソン完走で人生観が変わるというのは、そうした自分の限界を迎えたという強烈な体験と、それを乗り越えたという自信によってもたらされるものなのかな、と。

残念ながら(?)、自分の限界はまだ先にあるらしいです(いや、こんなこと書いちゃうと、まるでらく~に完走しちゃったみたいに思われちゃうかもしれないですけど、そんなことはないですよ~。辛かったですよー。ホントですよ~(笑))。

その境地に達するためには、更なる高みを目指せと。どうやらどこぞの誰かにそう言われているらしい。更なる高見を目指して、例えばサブ3でも達成すれば、そのときにはそんな境地に達することができるのかな?
はは、我ながら凄いこと言っていますね(^^;)。とりあえず言ってみただけです。本気にしないでください(^^;)。

フルマラソンを超えて、ウルトラやトライアスロンを目指すような人たちって言うのも、きっとそういう心境なんでしょうねぇ。更なる限界を目指して、それを乗り越えた新しい自分を探す。うーん、ランナーってつくづくMな生き物ですね♪

ただ、確かに完走した瞬間に人生観が変わるというような劇的な変化はなかったですけれど、フルマラソンを走ろうと本気で決意した瞬間から、きっと変化は訪れていたんじゃないかな、とは思います。結果そのものではなく、それに挑もうとした自分の気持ち。目標を定め、時には「無理なんじゃないか」と不安になり、それを乗り越え、必要な課題をひとつひとつクリアしていく。その間に行った練習もレースもすべて。ひとつひとつのことの積み重ねの全部。

「今までの努力のすべてがゴールにある」。完走はあくまでその分かりやすい結果だというだけで、変化は既に緩やかに起きていたんじゃないかな、と。改めて振り返ると、そう思います。

 

そして次は?

実は、走っている途中は「このまま完走して、目標も達成できたら、フルはもういいかな」とかとも考えていた瞬間がありました。「目標タイムに達しなかったら、『なにくそ』と達成するまで何度でも、と思うかもしれないしれないですけど、目標を達成しちゃったなら、わざわざこんな苦しい思いをしてまで、そんな何度も走らなくても別にいいんじゃないか」と。

でも、終わってみると不思議ですよね。次のレースはどうしようかな、次の目標はどうするかな、と極めて自然に次を考えている自分がここにいます♪


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